この日にしか行けなくて、時間をとても気にしながら
飛び込むように会場へ。
運がよくて、そこには私しかいなかった。
液晶画面をしばし離れて、静かで密やかな時を
歩いてみませんか?
きっと何か新しい感触、あるいは大きな樹のように
古い感触を持って、トンネルから出てきていただける
気がしています。
http://www.parco-art.com/web/other/exhibition.php?id=478

90年代、私はその他大勢の同世代たちと同じように、
彼のことをとても好きだった。
私自身がさまよっていた時代(ピアノの引越し回数が
多いのも、この流離があったからこそ)、小沢氏が
何を考え、どこに進んでいるのか、理解できなくても
共感できていたように思う。
今、益々理解できない、けれど、やはり、何かを
信じようとする私がいた。
この表現でよいのか。
展示された写真作品、こぼれ落ちてくる朗読、音、光、
これらに取り巻かれたなか、
私自身に対して、自問自答する、し続ける。
ささやくことは、本当に難しい。
全員に伝わらないことを、わかっていて行動するのは、
本当に勇気がいる。
けれど、実は当たり前のことではないのか?
迷い、ふらついてばかりいる事。
ただ、考え続けていく。