2009年06月25日

彫刻

掘り出された(えりだされた)塊、魂。
鋳込まれた塊、魂。
今は彫刻で、心が8割方いっぱいになっている。
(あとの2割はオフィーリア)

ロダンを追いかけて、安曇野に行った。
かつて、ロダンを追った男たちに会いに。

* * * * *

☆碌山美術館 http://www.rokuzan.jp/

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何よりもまず、美術館全体に流れる素晴らしい空気、気配のこと。
守衛(碌山の本名。私には、こちらの方がしっくりくる)を愛する人々の優しさが、この美術館を守っている。

荻原守衛の「女」。写真や図録で見るときに感じる「幼さ」を、実際に出会って確かめたかったのだ。
10年前、パリのロダン美術館で出会ったカミーユ・クローデルの彫刻の、ブロンズの指先からこぼれるような「幼さ」に打たれて、ぼうっと立ちすくんだ記憶。

おさなさ。
今はこうとしか言えない、己の言葉と思考の貧困さを嘆きつつ。
私にとってとても大切な感覚。そして、鎖でもある。

守衛の「女」は、天を仰ぎ続ける。
「女」は、想いを寄せた人妻「相馬良」を象った、守衛自身。
それはやはり幼くて、これからも、永遠に幼いまま。

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美術作品をみた後の網膜は、少なからずその影響を受けている。
その影響下でみる世界が好き。
ベンチの向こうの、桜の樹。根方はひとつなのだ。
雨の中、抱き合う恋人たちに見えた。

* * * * *

☆豊科近代美術館 http://www.h6.dion.ne.jp/~art-toyo/top/

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朝あんなに降っていた雨は夢のようにあがって、初夏の日差し。
高田博厚に会いにゆく。
その彫刻の前に立ったとたん、舞い降りてきた記憶。

数年前、実家の屋根裏に入った時(何か探し物でもしていたのか)、柔らかな生成りに薄紙のかぶせられた本が眠っていた。
『高田博厚著作集』全4巻、母の本だ。
すぐに読む気にはならなかったが、いつか必ず開く日がくるように感じたので、音楽室に置きたいと頼んだら快く許してくれた。

あの、本だ。あの、人だ。
すっかり、忘れていた。今の今、つながった。
子供の頃、母の本棚にこの4冊がおさめられていた景色を思い出した。
母の本棚は私にとり、うっとりと見上げる美しい扉だった。

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彫刻作品に、手を触れてはいけない。
それに耐えるのは、なかなかに辛い。
が、手で触れずとも、ヴォリュームの不思議な圧を肌で感じる、そのなかを泳ぐように歩きまわる午後。

音楽の「形態」を思っている。ロダンは神だ。
神の雷光に直接打たれた守衛やカミーユ。その少し先に、高田はいる。

情動。思索。
それらが、形をなすということ。


 だれが風をみたでせう
 ぼくもあなたもみやしない


ふとクリスティーナ・ロセッティの詩が浮かんだ。


* * *

(追記)
旅ブログ『気球にのって』更新しました。














posted by K10 at 02:40| カテドラル
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